千賀健永という子供
千賀健永はいい意味で子供だ。
物事には白か黒しかなくて、白がいつだって正義であると信じること。
努力すれば何だって叶うと信じること。
大人になったら、世界はこんなふうに綺麗ではないということを嫌でも知る。
綺麗な世界を信じたくても打ちのめされてしまう。
夢見がちだとあしらわれる。
だが、そういったことをまだ純粋に追求している。
理不尽なことや挫折も経験しているのにまだ諦めず追いかけている。
それが千賀健永というアイドルだ。
千賀健永はいい意味で子供だ。
舞祭組結成を「ヤダ」と言った。
彼1人だけ「ヤダ」と言った。
ジャニーズの一般的なイメージをぶち壊すこと。
自分が幼い頃から目指していたことではないことを求められること。
自分を応援してくれている人が見たいものを届けにくくなること。
何かにつながるチャンスだと捉えたり、与えられた仕事だからと割り切ることより先に、自分が積み上げてきたものとファンが期待することを尊重する気持ちのほうが大きかった。
そのためならきちんと自分の気持ちをまっすぐに伝えることを厭わなかった。
千賀健永はいい意味で子供だ。
嘘がつけないし、ごまかすのも下手だ。
ピエロにもなりきれない。
テレビという箱の中でさえ自分を誤解されたくないという気持ちも見え隠れする。
だから彼が舞祭組というコンセプトに納得できてないことを私たちは比較的容易に察することができていた。
山崎ナオコーラさんの小説『可愛い世の中』にこんな場面がある。
世間に迎合せず自分が誇るものを自分の魅力にしたいと言い張る主人公に対し、姉はこんな正論で指摘し主人公を閉口させる。
「自分の魅力を自分で決められるわけがないでしょ、他人が決めるのよ」
2013年のコンサートで舞祭組の曲を初披露しドームが盛り上がったとき、彼は多少なりともそのようなことを感じたのではないかと思う。
自分が気づかなかった魅力。
人が気づかせてくれた魅力。
彼が大切なことに気づくきっかけになったのだと思う。
私は彼より年上であるが、私もまだまだ子供なのかもしれない。
舞祭組としての彼の扱われ方はやっぱり受け入れられないことも多いし、見てて辛くなる。
私の中で消化できてないことが多いのは変わらないが、今、彼のビジョンが明確になっていて、新たに目指したいことができたのであれば応援したい。
彼が目標に向かって子供のように一直線に進み、大切なものをどんどん拾っていって大人になっていく。
それを遠くから見守っていきたいし、私も同じように大人になっていきたい。
千賀健永は傷つきやすく、考えこみやすい。
純粋がゆえに、生き方に不器用だと思う。
それでももがきながら走り続けてくれている。
彼の無垢な姿が、彼自身をキラキラなアイドルに見せている大きな要因なのだと思っている。
大好きで、大事にしたい25歳児、それが千賀健永だ。